先生は明治3年に生まれ成人されたのち、小学校教員として勤務された。当時
の農家の疲弊を目の当たりした先生は、農業を改良し、増産することで健全な社会
の発達を期し、国家の基礎固めに貢献せんと、「知能を備え、実際に応用させる」こ
とを基本として農業教員となられた。
  明治34年に愛知県農林学校の山崎延吉校長に見いだされ、同校草創期の教育
環境の整備にあたられた。
 一方で、本校の前身知多郡農学校は開校後幾ばくもなくして休校せざるを得ない
状況に陥っていた。地域の有志らは、「是非よい校長を招かなくては」と、野村先生
に白羽の矢を立て、山崎県農林学校長に懇請し、漸く許諾を取りつけた。明治40年
に野村先生は校長として着任された。
 本校での先生は、生徒と寝起きを共にするなど、徹底的に教育に献身され、学校
経営に全力を注がれた。この結果、本校には郡外、県外を問わず入学希望者が増
え、内外に声望がとどろくほどになった。それ以後も先生は献身奉公、あらゆる機会
をとらえて指導を怠らなかったとされる。
 大正14年に依願退職されたのちも、さらに精力的に農業教育に尽力された。
 昭和7年に本胸像が農友会(同窓会)により建立され、住吉町駅から現在の地へ
と学校移転されたのに伴い、研修館脇に移設されていた。

                  愛知県立半田農業高等学校『創立百周年記念誌』より

  

 6月28日、本校第2代校長野村勝三郎先生の胸像(昭和7年建立、同25年再建)が
正面玄関右横に移設されました。これまでは校地東南隅の研修館園庭にあり、農友
会(同窓会)総会の際以外、見る人も希でした。このたび農友会会長齋藤宏一氏(平
成11年度就任)をはじめとする役員の皆さまのご尽力により、長年の希望であった移
設が実現し、より多くの方々に野村先生の遺徳をしのぶよすがとしていただくことが
可能となりました。

先生の略歴

台座背面の銘。「昭和七年十二月四日 農友會
一同建之 鋳造師柳原緑太 石工岩田彦三郎」

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しました。

第2代校長野村勝三郎先生の胸像移設完了